2024年7月8日
今日は先生の誕生日だな、と一日思っていたけれど、結局おめでとうのメールを送れなかった。
先生、というのは2020年に通っていたスクールの主任講師の先生のことで、小中高の先生のことではない。わたしにとって本当の先生は先生だけだ。今日、書いたメールを結局送信しなかったのは、今まであまりにも気軽にメールをしていたことを最近になって急に、なんだか恥ずかしくなってきて気安く送れなくなってしまい、今日は心の中で(還暦おめでとうございます!)と呟いていた。
先生に対してだけではなく、最近は人に連絡するときも、考えて結局送信しない、電話しない、連絡しないということがよくある。どのくらいの頻度が鬱陶しくないのか考えてしまいわからなくなってしまっているのだ。
うちのおばあちゃんはよく近所の人と長話をしたり、電話で誰かと話したりしていたけれど、ああいうのは今思い返すといいな、と思う。おそらく取るに足らないどうでもいい話をしていて(すまん)そういうどうでもいいことほどどうでもよくないことはないな、とややこしい言い回しだけれどそう思う。言語がコミュニケーションの手段と、思考の手段だとするならば、どうでもいい話はコミュニケーションの手段よりなのだと思うけれど、それこそが今のわたしには足りていない部類の言語なのだと思う。
さて今日は久しぶりに横浜に行ってきた。歯医者と心療内科に行き、帰りに友達と集まり久しぶりに人と「どうでもいい話」ができた。こういう時間が日常の中にあることがいかに大切か身に沁みる。引っ越してまだ1ヶ月もたたないし、焦らずこちらでも人と出会い友達ができたらいいなと思う。
「大人になってから友達を作るのは難しい」ということを今日、友人が言っていたけれど、わたしは大人になってからの方が出会った人と仲良くなりやすかった気がする。大人というのが成人ということにして、小中高の頃より圧倒的に大人になってからの方が友達ができやすくなった。ただ同じ年齢で同じ地区に住んでいるというだけの集まりの中より、大人になってから出会った人たちの方が年齢も出身地もバラバラだし、共通する何かがあって出会うわけだし(例えば美術活動もそうだし、仕事やボランティア活動とか)友達になるとっかかりが子供の頃よりある気がする。子供だって、勉強をするとか遊びとか共通するものはたくさんあるんだろうけれどわたしは一人で絵を描いたり物語を書いたりするのが好きでそれに没頭しているタイプの子供だったし、友達は数人いたかな、くらいだった。もちろん年齢を重ねてコミュ力が上がったからというのもあるだろうが。そして今連絡が取れる人は高校時代の友人2人がInstagramで繋がっている、というくらいだ。
なのでまあ、そんなに焦らなくても何かを始めたらこっちでも友達はできるのだろうな、くらいに思うことにした。
そんなことを書いていたらすげえでかいゴキブリが絨毯の下から出てきた。慌てて手近にあった外付けHDで叩いてしまい、ピーピー変な音が鳴り出してしまった・・・多分壊れてはいない。ゴキブリはどこかに逃げてしまった。くそう。ゴキブリと友達になる気はない。横浜では出たことがなかったけれどコンバットのおかげだったのだろう・・・コンバットとゴキジェットを買わなければ・・・。
すでに登録済みの方は こちら